市場の仕組み
ハイエクは、市場の仕組みを大事にしました。
「市場の仕組み」とは、売りたい人と、買いたい人のバランスで値段が自然に決まる仕組みのことです。
逆に言うと「政府が値段を決めてるわけではない」ということです。

ハイエクは、市場の仕組みを大事にするべきだと考えました。
市場の仕組みを大事にする社会は、言い換えるなら、競争社会です。
勝つ人がいれば負ける人もいます。
幸せになれるかは「運」です。
競争社会では、ライバルに負けないように、それぞれのお店は、値段を安くしようと頑張ります。
安い商品は売れるし、高い商品は売れません。
お客さんが自由に買い物することができます。
一方で、勝ち負けがシビアな世界です。
市場経済のメリット
市場経済のメリットは、値段を見ればいろいろなことが分かる点です。


つまり、商品の人気度合いや、希少性が分かるのです。
ハイエクは、価格は情報だと考えました。
- 人々がどれくらいその物を欲しいか
- どれくらい少ないか
という情報が、価格に表れるという考えです。


値段は「お知らせ」みたいなものです。
値段を見ると
- 何が人気か
- 何が足りないか
- 何が余っているか
がわかります。

もし国が
「この値段にしなさい!」
と全部決めてしまったらどうなるでしょう?
すると
- 何が足りないのかわからない
- 何をたくさん作ればいいのかわからない
という問題が起きると考えました。
値段は社会にとって大事な情報だから、自由に動くほうがいい。
「政府が決める」というルールにしないほうがいい。
ハイエクと対立する考え
競争社会に反対していた経済学者もいます。
例えば、マルクスです。
マルクスは平等な社会を目指していて「計画経済」というものを実行しようとしていました。
政府が、商品の値段を決めて、それをみんなに平等に分配するのです。

計画経済に反対
ハイエクは計画経済に反対しました。
その理由は、政府が全てを管理するのは、難しいからです。
例えば
- 店主だけが知っている売れ行き
- 農家だけが知っている作物の状況
- 消費者だけが知っている好み

こうした情報を、政府が全部集めるのは難しいとハイエクは考えました。
市場経済の中で、私たちは、自分が持ってるそれぞれの知識を信じて生きています。
自分の直感を信じてきたおかげで、計画されていたもの以上の文明が発達したと、ハイエクは考えます。

文明が複雑になるほど、政府が管理できるようなものではなくなっていきます。
人類の進歩は、計画して行えるようなものではありません。
意図的に計画された通りに動くのではなくて、それぞれの人間がいろいろ挑戦したり、失敗したりしてくれる中で、新しい技術が生まれるのだそうです。
市場経済のメリットとデメリット
市場経済のメリットは、お金を払えば、好きなものを買える点です。
一方で、デメリットは、貧富の格差が広がりやすい点です。
しかし「お金で何でも解決できるのが嫌だ」と考えている人もいます。
そんな人は、人々が平等に生活するために「計画経済の方がいい」という考えています。

ハイエクは、市場経済の方がいいと主張します。
なぜなら、何を大切にするかは人によって違うからです。
政府には、貧富の差をなくすという目標があります。
しかし、人にも、それぞれの目標や夢やこだわりがあります。
例えば、「健康を大事にする人」「美容を大事にする人」「安全を大事にする人」
「個人が給料は安くてもいいから、自由に働きたい人」
「残業をいっぱいしてもいいから、たくさん給料が欲しい人」
それぞれいろんな事情があります。
働き方も、お金の使い方も、人それぞれです。
しかし、政府が仕事を割り振るようになったら、その事情を一つ一つ受け止めることはできないだろう、とハイエクは考えました。

このようなものは、たくさんのお金をかけないと、維持できないものもあります。
何にお金を使うのかを、個人が決めることができる方がいいのです。
さらに言うと、限られたお金の中で、どれかを犠牲にしなきゃいけない時もあります。

人生とは、残酷な現実に直面して、そのたびに厳しい選択が迫られるものです。
「選ぶこと」は苦しいです。
その選択をすると言う苦しみから逃れたいという気持ちは理解ができる、とハイエクは言います。
だからといって、その選択を誰か他人に任せて、回避しようと考えるのは良くないのだそうです。

もし、そこで他人に任せてしまうと、その後の人生は、命令と禁止だけになってしまいます。
誰もがそれに従わなければならないし、最後は権力者の優しさにすがるしかなくなるのだそうです。
また、市場経済では、労働者に「一緒に働きたい」と思ってもらうことで、初めて工場に労働者を集めることができます。
雇う側も労働者の取り合いをしています。
だから、労働者に会社で働いてもらうために、給料を高くしたり、労働環境を整えたりとかして、優秀な労働者に来てもらうように、いろいろ努力をしています。

だから、競争社会は、労働者にとって良い環境で働ける社会システムです。
自分が選んだ上司の下で働き続けるからです。
『隷属への道』
ハイエクは『隷属への道』という本を書きました。
ハイエクが考える「隷属」とは、「政府に支配されて、言いなりになる」ということです。

ハイエクは、社会主義が進むと、平等な社会ではなく、隷属が待っている、と考えました。
国民がみんな平等に幸せになるために、政府にいろんなことを任せるようになっても、国民が幸せになれるかどうかは分かりません。
「みんなのために!と考えながら計画経済をしたとしても、行き過ぎると人は自由を失う」とハイエクは考えました。
例えば、みんなが仕事を得られれば、みんなが平等に給料をもらうことができます。
そうすれば、貧富の差は無くなっていきます。
しかし、政府が仕事を割り振るので、人々は、自分の好きな仕事を選べなくなっていきます。

例えば、女性が人力車をひく人になりたいと思っても、女性が男性と同じように働けるかは分かりません。
そのため、夢があるのに、別の仕事をさせられてしまうかもしれません。
社会主義では、個人の情熱はほとんど見てもらえなくなります。
そして、女性か?男性か?力があるか?ないか?など、パッと見で分かりやすいようなもので、職業勝手に決められてしまうのです。
こうすれば、貧富の差は減りますが、人生の幸福度が上がるのかどうか分かりません。
資本主義は、みんな何でもなれます。
自由競争の環境であれば、例えば女性が人力車を引いたっていいです。
その人に向いてなさそうな職業だったとしても、挑戦することができます。
「向いてないよ」と言われてしまう時はあるかもしれませんが、無視すればいいだけです。
情熱さえあれば、どんな仕事にも挑戦できます。
そして、しばらく頑張ってるうちに、最初は見抜けなかった能力を後から発揮する、ということもよくあります。

しかし、計画経済のように、政府がそれぞれの人の職業を勝手に決めてしまうような状況になったら、どこにも逃げ場がありません。
計画経済が始まると、政府は、仕事を単純化するために、何事にも基準を設けるようになるかもしれません。
そうしたら、みんながその基準に従わなきゃいけなくなります。そして、個性の違いや、個人の情熱は、意図的に無視されるようになります。

そして、社会の幸福とかというよく分からない曖昧な目標のために、政府の手足となり、単なる道具として生きていくことになるのです。
計画経済の怖いところ
人々は、貧富の差を減らしたいと考えています。
そして計画経済すれば、平等な社会がやってくると、マルクスたちは信じています。
お金を平等に持つ社会にするには、どうするのがいいのでしょうか?

この時代は、お金を生み出している場所は、工場でした。

計画経済をするために、お金を稼ぐ手段である工場を、個人が持つのではなくて、政府が管理するべきだ、と言われていました。
そうすれば、今までお金持ちの人が持っていた富を、政府が管理するようになります。
ハイエクは、それは危険だと主張します。
これは、まず、お金持ちの人が持ってた富が、政府に移動しただけです。

しかも、全国のお金持ちの富が政府に集まることになります。
今までは、不特定多数の人が持っていた富が、1箇所に集まるのです。
これは、競争社会では、誰も手にすることのない権力です。

政府に富が集まると危険
もし、政府に全ての富が集まるようになると危険だとハイエクは言います。
なぜなら、政府が意図的に自分の気に食わない人をクビにすることだってできるからです。
今の競争社会で出世できなかったとしても、それは侮辱されたとか、尊厳を傷つけられたということにはなりません。
たまたまその会社の経営状況が悪くて、労働者がクビになっただけです。
それは運によって起きます。

しかし、社会主義の国で、クビになると言うことは、使い物にならないと思われたということです。
社会主義では、ある特定の仕事に必要な人間かどうかではなくて、そもそも使い物になる人間かどうかということが問われます。
政府の意図によって、自分がクビになる方が自尊心が傷つくだろう、とハイエクは言います。
役に立つ人かどうかを政府が決めてしまうので、人生の位置づけが政府の手によって決められます。

競争社会では、誰にでも不幸が襲いかかる可能性があります。
しかし、社会主義では、政府が決めた悪意による不幸が襲い掛かることがあります。
人々は、運による不幸を耐えることができますが、他人からの悪意には耐えられません。
その不幸が、誰かの意図の結果だとわかれば、自分の運命に対する不満が募ります。
それに、社会主義では、自分の暮らし向きが他人より上なのか下なのか、全員が知ることになります。
また、それが運で決まるのではなくて、政府の意思によって決まります。
そしたら、自分を磨こうとか、良い商品を作ろうという気持ちよりは、政府のご機嫌をとって、自分の有利にしてもらうと言う方向にエネルギーを使うことになるかもしれません。
隣に金持ちがいたほうがまだマシで、政府のもとに、権力とお金が集まっていくのは、危険だとハイエクは主張しました。
多少の不平等が出るのが普通
市場経済では
- 能力
- 運
- 情報の違い
によって、人々の所得に差が出るのは自然な結果だと考えました。
「格差は起こりうるし、ある程度は避けられない」とハイエクは言います。

ハイエクも、最低限のセーフティーネットは、必要だと考えています。
しかし、完全な平等を作るのは難しいと考えています。
人間の想像力には限りがあり、社会全体の全員のニーズを把握することはできません。
人間が気にかけられるのは、人類全体のほんの一部に過ぎません。
そういう意味で、人間は自分の利益を追求したり、自分のすぐ近くにいる人を幸せにすることを程度の能力しかないのです。

しかし、競争経済では、それでも、社会がうまく回るようにできてきます。
Aさんが持ってる目的は、自分を幸せにすることかもしれません。
または、Aさんの家族や友達を幸せにすることかもしれません。
さらには、遠く離れた人々まで喜ばせるために働いているのかもしれません。
Aさんが自己中な人なのか?他人を喜ばせる人なのか?
政府はそこまで把握できません。
どうすれば周りの人が幸せになるのか、という価値観はAさんの頭の中だけに存在します。
また、その価値観が、他人と食い違うこともあります。
だけど、個人は自分の価値観や好みを自由に追求するのが許されるべきです。
この意味で、個人が自分の価値観に従って働く競争経済の方が良い、とハイエクは考えました。

