今回は、社会主義を支持したマルクスと、資本主義を支持したハイエクの意見の対立についてみていきます。
どのような対立になったのか、みていきます。
マルクスってどんな人?
マルクスは、みんなであらかじめ役割分担を計画して、計画通りに行動する世界を作ろうとしていました。
あらかじめ計画して、成果をみんなで分け合ったら、不平等がなくなって、もっと平等な世界が作れると考えていたからです。

ハイエクってどんな人?
ハイエクは「みんなひとりひとりのアイディアや直感を活かすにはどうしたらいいのだろう」と考えた人です。

政府の人が世の中の全部を理解するのは難しいです。
・誰が何が得意か
・誰が困っているか
などを、全部、政府が計画するのは難しいです。
そうではなくて、それぞれの人が自分の知っていることをもとに、自由に行動してもらう方がうまくいくと考えました。
マルクスの計画経済
マルクスは、「計画経済」というものを作ろうとしていました。
私たちが生活している資本主義の社会では、それぞれの人が、お金を稼ぐために働いています。
しかし、お金儲けばかり考えると、貧富の格差が生まれてしまいます。
そのため、マルクスは、貧富の格差を作らないために、もっと計画して働いた方がいいと考えました。
例えば、政府が、国民の数を数えたうえで、必要なパンの数を予想していこう、ということです。
仕事も、失業者が出ないように、役割を振り分けます。
このようにすれば、
- みんなに行き渡る
- 足りなくなる人が少ない
- みんな働くことができる
というメリットがあると考えられていました。
政府は完璧な計画を作れるのか?
まず、マルクスとハイエクの1つ目の論点は「政府は完璧な計画を作れるのか?」です。

働いている人たちは、商品を作っています。
パン屋はパンを作ります。
農家は農作物を作ります。
ゲーム会社は、ゲームを作ります。
このときに、マルクスは
「どんな商品を何個つくるのか、政府が計画した方がいい」と考えました。

しかし、マルクスの意見は、未来は正確に予想できる、ということが前提になってしまっています。
・来年はどんなファッションが流行るのか?
・どんなスマホが人気になるのか?
・どんなテクノロジーが生まれるのか?
「政府にならなんでも予想できる」という前提です。
一方でハイエクは「未来のことは誰にも分からない」と考えました。
未来のことは、誰にも分からないからこそ、たくさんの人に予想させて競争させた方が、当たりを見つけやすい、というのがハイエクの考えです。

マルクスが考える社会主義とハイエクが考える資本主義を比べてみます。
資本主義の場合、それぞれの会社は、自分の気持ちを信じて挑戦することが許されています。
会社Aは、冒険ゲーム
会社Bは、対戦ゲーム
会社Cは、リズムゲームを作ります。
しかし、作ってる時は、それが本当に売れるかどうかは分からないのです。
わからないけど、自分の経験と勘を使ってゲームを作ります。

発売してみると
- Aは大ヒット
- Bは失敗
- Cはそこそこ成功
という結果になるかもしれません。

すると
みんながその結果から学びます。
「今はこういうゲームが人気なんだな」
という情報が広がります。
しかし、社会主義の場合はそうはいきません。
それぞれの会社は、政府の判断に従って、商品を作らないといけないからです。
政府が、「今年は全国で冒険ゲームを100万本作る」と決めます。
すべての会社はその指示に従います。

もし予想が当たれば問題ありません。
しかし、予想が外れたら、全然売れません。

何が売れるかは誰にも分からないので、100人が別々に予想して試す方がいいのです。
知識を一箇所に集めることはできるのか
次に、マルクスとハイエクの2つ目の論点は、「知識を一箇所に集めることができるのか」という点です。
マルクスは、世の中の知識を、すべて政府が把握する世界を想像していました。
一方で、ハイエクは、世の中の知識は、一箇所に集めることができないと考えました。
・農家が知ってる知識
・店員が知ってる知識
・技術者が知ってる知識
それぞれの知識を政府の人がまとめて理解するのは、大変なことす。

個人は、自分のビジネスについては、他人よりも良く知っています。
個人は知識をもっているだけでなく「直感」も持っています。
経験から手に入れた、言語化できない知識です。
人間関係を調整する時とか、何かを判断する時、言語化できないけど「こうした方がいい」というのが、直感で分かる時があります。
直感は、言語化されない知識のため、直感を他人と共有するのは難しいです。
言語化できないので、教科書には書いてないし、誰からも教えてもらえません。
「そうするべき理由」を言葉で説明することは、とても難しいです。
この知識は政府の人に伝えることがそもそも不可能です。
この知識が役に立つのは、現場の人が、勘を使って判断する時だけです。

それに、現場の人が決定権を持っていたら、状況の変化に応じて敏速に対応できます。
しかし、もし「政府の人が全部決める」というやり方にしてしまうと、遅いうえに的外れな判断をしがちです。
現場の事情を離れた気ままな決定をすると、現場の人が振り回されてしまいます。
現実の世界では、誰も予想できないハプニングが起きます。
そのため、その都度、現場で適切な判断をする必要があると、ハイエクは考えました。
決定権は、政府が持つべきか、現場が持つべきか
マルクスとハイエクの3つ目の論点は、「決定権は政府が持つべきか、現場が持つべきか」という点です。

社会主義とは、どんな商品が必要か?どんな商品が人気か?というのを政府が考えて、計画を立てます。
国民は、政府が作った計画どおりに働きます。
これは、政府が決定権を持っている状態です。
例えば社会全体でパンを作るとして
- パンを何個作るか
- 小麦をどこに配るか
- どの工場を優先するか
を計画機関が決める必要があります。
一方で、資本主義は、決定権は現場が持っています。
「どのパンをどのくらい作るか決める」といったことを、現場にいるパン屋が決めています。
自分の知識や、直感を使いながら、パンをいくつ作るのかを自分で決めます。
知識というのは、知識を持ってる人、本人が「自分のために最大限、自分の知識を活用しよう」と思っている時だけ、パワーを発揮します。
本人の判断に任せてこそ、一番その知識を活かすことができるのです。
そのため、ハイエクは、政府ではなくて、現場の人が判断をした方がいいと考えました。
判断とリスク
マルクスとハイエクの4つ目の論点は、「判断をする人がリスクを背負うべきかどうか」という点です。
判断にはリスクがつきものなのです。
資本主義では、自分で考えて決めます。
失敗したら自分が困ります。
だからこそ、「お客さんは何をほしがっているか?」と一生懸命考えるようになります。
現場にいる専門家の人が、自分の知識を自分のために使おうとするとき、知識は、最大限に活かされます。
何が売れるのかは前もってわからないため、間違うこともあるはずだとハイエクは考えました。
ビジネスは、試行錯誤しながらやっていくしかないというわけです。
個人が自由に、それまで誰も足を踏み入れなかった領域に進むことができなければ、人類の進歩はありません。
自由とは、失敗が許される環境でなければならないのです。
社会主義では、失敗してもその人は困りません。
そしたら、本気で考えなくなります。
そのため、決める人と、責任を取る人は、同じ人の方がいいのです。
政治権力が大きくなることは良いことか
マルクスとハイエクの5つ目の論点は、「政府の権力が大きくなることが良いことかどうか」という点です。

マルクスのやり方のように
- 何を作るか
- どれだけ作るか
- 誰に分配するか
を決めるなら、その調整をする大きな組織が必要になります。
そしたら、政府の力が大きくなってしまいます。
政府の人が最初は、善意で動いていたとしても、反対する人をいじめてしまったりなど、悪いことをしてしまう可能性はあります。
力が集中すると、危険なのです。

成功するかどうかは運
ハイエクも成功するかどうかは「運」だと言います。
成功した人は、「自分が成功したのは、努力のおかげ」だと信じたがりますが、
実際には、運が良かっただけなのです。
競争において人々の運命は、しばしばその人の技術や先見性よりチャンスや幸運によって決まることが多いのである
運がいい人は、お金持ちになるし、運が悪い人は、努力してもうまくいかなかったりします。
資本主義は「運がいい人が幸せになる」という仕組みになっています。
人々は「不運」があると、悲しくなります。
そして「不運が起きないような完璧な計画を政府が作るべきだ」と感じるようになります。
不運の被害者たちが、救われるように、政府が助けるべきだ、という意見もあると思います。
だから、社会主義が人気になったのです。
しかし、ハイエクは、自分で選ぶことを放棄してはいけない、と主張しました。

