物神崇拝とは、「本当は人と人との関係でできているのに、それがモノ同士の関係に見えてしまう現象」のことです。
価値ってなに?
「価値があるもの」と聞いたとき、勘違いしてる人は「価値とはお金だ」と考えます。
そして「お金があるから、なんでも買える」と考えます。
しかし、そうではないのです。
商品を作ってくれてる人がいるから、私たちはそれを買うことができるのです。
このように考えると、価値とは「労働」です。
人が時間とエネルギーを使って、商品を作るから、そこに価値が生まれるのです。

価値を生んでいるのは、労働者なので、私たちはもっと、労働者を大事にするべきです。
しかし、世の中には、商品やお金に価値があると、勘違いしてる人がいます。

この勘違いのことを物神崇拝と言います。
価値とは労働
マルクスによれば、価値とは労働です。
その理論に従って考えれば、
・働いて商品を作っている労働者が価値を生み出している
・働いていないお金持ちは価値を生んでいない
と考えることができます。

働いていないお金持ちは、自分では価値を生み出しません。
労働者が作った価値を受け取っているだけです。
世間の見方ではよく
- 金持ちの方が「偉い」
- 金を持っている人の方が「価値がある」
と見られがちですが、マルクスはこれを完全に逆転させます。
社会を本当に支えているのは、お金持ちではなく、毎日働いている労働者です。
価値を生むのはお金ではありません。
労働なのです。
労働価値説
マルクスは、労働価値説を主張しました。
これは、労働が価値を生み出しているという考え方です。

物神化
人は、働いて商品を作り出します。
すると、人は、商品そのものに価値があると思い込むのです。
これが物神化です。
マルクスは商品の価値を、物に付着した神だと考えました。
人間は、みずからがつくりだした商品に逆に支配され、それらを神のように崇めているのです。

崇拝とは
崇拝とは、「神様」だと思って、大事にすることです。
人間が商品を作っているのに、商品を作った人の命よりも、商品が大事にされるのです。
お客さんは、商品を買うことで喜ぶのに、その商品を作った人が過労で倒れたとしても「しょうがないこと」として無視します。

商品は神のように大事に扱われ、それを作った人間は道具のように扱われます。
これはマルクスの言葉で言えば、
- 物神崇拝
- 人間よりもモノと利益が優先される社会
- 人間が道具のように扱われる状態です。
人間の命よりもモノが大事にされるなんて、まるでモノが神様になったみたいです。
これを「物神崇拝」と呼びました。

特に、労働者が倒れても「しょうがないこと」として扱われることは、マルクスが特に危険だと考えた点です。
労働者が倒れているのは、資本家が不当に搾取をしているからです。
しかし、見え方は
「景気が悪いから」
「価格競争だから」
「会社がそういう仕組みだから」
と、まるで誰も悪くない自然現象のように見えてしまいます。
これがまさに物神崇拝によって、人間の責任と苦しみが見えなくなる状態だと、マルクスは考えました。

実際にマルクスは、当時の工場で
- 子どもが長時間労働させられている
- 女性が危険な環境で働かされている
- 労働者が若くして病気で倒れる
といったことを、統計や政府資料を使って何度も告発しています。
これは単なる学問ではなく、 「こんな社会はおかしい」という強い怒りで、告発したのです。
物神崇拝はキケン
物神崇拝が広がると、次のことが起きます。
① 労働者の苦労が見えなくなる
→ 商品の値段しか見ず、誰がどれだけ大変だったかを考えなくなる。
② お金や商品が一番えらくなる
→ 人よりモノの方が大事になる。
③ 搾取が見えなくなる
→ 本当は労働者が安く使われているのに、
「市場のルールだから仕方ない」と思ってしまう。
社会を動かしているのはお金でも商品でもなく、人間の労働です。
それなのに人間が一番粗末に扱われています。
この逆転に対して、マルクスは強い問題意識を持っていました。
貨幣の物神的性格
貨幣の物神的性格とは、お金にまるで神が宿って「万能の力」があると勘違いしてしまうことです。
「価値=お金」と考えてしまうのです。
たとえば、
- 「お金があれば、なんでも手に入る」
- 「お金はすごい力を持っている」
- 「お金がえらい」
これは、お金が魔法みたいに、勝手に力を出していると思ってしまっている状態です。
これが「物神(=神さまみたいにあがめる)」です。

人は、お金があれば、他のどんなものとも交換できると、勘違いしてしまうことがあります。
- 高いもの = 価値がある
- 安いもの = 価値がない
- 儲かる仕事 = 価値がある
- 儲からない仕事 = 価値がない
これは、本来の意味の「価値」ではなく 「価格(お金)」で価値を判断してしまっているのです。

- 勘違い:「お金そのものに万能の力がある」
- 本当の姿:「お金の裏には、必ず“人の労働”がある」
パンを1個買うときのことを考えてみます。
パンができるまでには、
- 小麦を育てた人
- それを運んだ人
- パンを焼いた人
- お店で売った人
たくさんの人の「はたらき」が入っています。
お金は、その「みんなのはたらき」と交換しているだけなのです。
つまり、お金がパンを生んだのではなく、 人の労働がパンを生んだということです。

マルクスは、価値をこう定義しました。
| 価値 とは | お金とは |
| 人の労働 | 価値を測るための「値札」 |
お金なんて、単なる交換の媒介役に過ぎません。
ところが現実では
- 値札(お金)ばかりが目立ち
- 中に入っている「人の労働」が見えなくなる
これが 物神崇拝 です。
なぜ「価値=お金」という勘違いが生まれるのか
私たちは日常で
- 商品はすべて「値段」でしか見ない
- 労働もすべて「給料」でしか見ない
- 成功もすべて「年収」で測る
という世界に生きているからです。
その結果、「お金で測れないものは、価値がない」という感覚が、知らないうちに刷り込まれていきます。
毎日
- 何でも値段で決まる
- 何でもお金で買う
そんな生活をしていると、 人のはたらきが見えなくなって、お金だけがすごく見えてしまうのです。
これが、マルクスの言う「貨幣の物神的性格」です。

お金を大事にするのは悪いことではありません。
でも、 お金より先に、人のはたらきを大事にしようというのが、マルクスの伝えたかったことです。
具体例
マルクスが最も問題だとしたのは、次のすり替えです。
- 本来:人が価値を生み出している
- 見え方:お金が価値を生み出しているように見える
その結果、
- 介護・育児・清掃・保育など
→ 社会に不可欠なのに「給料が安いから価値が低い」と誤認される - 投機・転売・金融取引など
→ 実体的な生産がなくても「お金が増えるから価値が高い」と錯覚される
こうして 人間の役割と社会の評価が逆転すると、マルクスは考えました。
労働の疎外
本来なら、尊いものは、労働です。
労働が、価値を生み出す源です。
しかし、現実では、お金を大事にしすぎてる人が多すぎて、人間の労働が疎外されるようになっているのです。


