「ケインズか?ハイエクか?」という議論があります。
ケインズの方が16歳年上ですが、二人とも20世紀前半の人です。
同じ時代に生きながら、違う結論になった2人の価値観を見ていきます。
第一次大戦
まず、第一次世界大戦まで遡ります。
1914年、オーストリア皇太子が暗殺されました。
第一次世界大戦が始まり、1918年イギリスをはじめとする連合国の勝利で終わりました。

ケインズはイギリスで育ちました。
ハイエクはオーストリアで育ちました。
その後、2人はほぼ真逆とも言える考え方を持つようになっていきます。
世界恐慌
1929年、アメリカで世界恐慌が起きます。
景気はどんどん悪化し、1933年にはアメリカでは、4人に1人が失業者という状態にまで落ち込みました。
世界恐慌が起きたのはアメリカですが、その影響は世界中に広がります。
これが二人の考え方にも、影響を与えます。

ケインズ

世界恐慌の時、政府は「放っておけば自然と元の生活に戻るだろう」と考えていました。
しかし、ケインズは「失業者が何年も救われない」という現実を見ました。
売れないパン屋や、パンを買えない失業者が、何年も苦しんでいる状態が、アメリカでもイギリスでも続きました。

そのため、「政府が失業者を助けないといけない」と考えるようになりました。
そして、「放っておいてはダメだ」と主張するようになりました。
ハイエク

一方、その頃、ハイエクは別の経験をしていました。
- 1929年:世界恐慌
- 1930年:ドイツで貧困が深刻化
- 1932年:ナチ党が大きく躍進
- 1933年:ヒトラーが首相になる

若いハイエクはオーストリア=ハンガリー帝国の軍人として従軍しました。
オーストリアは、ドイツ語圏の国です。
1938年、ドイツ軍がオーストリアに進駐し、オーストリアはドイツに併合されます。

独裁・全体主義
独裁と全体主義は、同じような言葉です。
独裁は、権力が一部の指導者に集中している状態です。
一方、全体主義は、それよりさらに踏み込みます。
「政治だけでなく、経済、教育、文化、メディア、思想、個人の生活まで、国家が一つの方向に統一しようとする」という発想です。

全体主義
全体主義が広がると、例えば
- 何を作るか
- どれだけ作るか
- 誰に売るか
- 価格をいくらにするか
を政府が決めるようになります。
すると、人々の選択を制限する必要が出てきます。
例えば、作物は、政府が決めた量を必ず作らないといけないので
農家が「別の作物を育てたい」と言っても計画が崩れます。
気候などで不作になっても、計画が崩れます。

何を作るのかを政府が決めるということになり、国全体で混乱が起きました。
計画通りに生産するのは、簡単じゃありません。
さらに、問題なのは、どの商品が人気になるかが、あらかじめ分からないといけないという点です。
- お客さんが何を欲しがっているか
- どの商品が不足しているか
などを政府が把握しないといけません。
しかし、そんなのアンケートでもとらないと、把握できません。
アンケートをとっても、正確には把握できないはずです。
ハイエクは、この状況を批判しました。
放っておけば、人気なものは高くなるし、人気がないものは安くなります。
なので、政府が細かく指示せずに、むしろ「放っておく方がいい」と考えました。

政府は、現場のことが分からないのに、口出しをしてきます。
当然、不満が生まれます。
反発する人もでてきます。
そこで政府は命令や規制を強めます。例えば、命令を守らない人を取り締まります。
計画を成功させるには
- 警察
- 官僚
- 監視制度
などが必要になります。
こうして国家の権限がどんどん強くなります。
やがて政治の自由まで失われていくのです。

ハイエクは、ナチス・ファシズムやソ連のような全体主義国家が拡大する時代に生きていました。
そのため、「政府がチカラを持ちすぎると、やがて自由そのものが失われる」と危機感を抱きました。
ケインズとハイエク
ケインズとハイエクは、同じ時代を生きながらも、異なる結論に至りました。
どちらも「政府がどのくらい市場に介入するべきか」という点に関心がありました。

ケインズは、もっと政府が介入するべきだと主張したのに対して
ハイエクは、政府が介入しすぎることによるデメリットを考えていました。
実際二人は面識もあり、お互いの著作を読み、直接議論や書簡のやり取りもしていました。
結果的には、多くの国は、ケインズ政策を取りました。
しかし、議論は今でも続いています。
そのため経済学史では「ケインズ対ハイエク」という対比が現在まで語り継がれています。

