リバタリアンとは
リバタリアンというのは、「自由がいちばん大事だ」と考えている人たちのことです。
自由というのは
・お金を自分で使える
・ルールで制限されずに行動できる
というニュアンスの言葉です。

リバタリアンの人たちは、例えば
「自分のお金は自分で使いたい(税金で取られたくない)」
「人に迷惑をかけないなら、何をしてもいい」
という考え方をしています。
そのため、リバタリアンの人は
「税金を少なくしてほしい」とか
「国のルールはできるだけ少なくしてほしい」と
主張することが多いです。

自由が大事な理由
リバタリアンが自由を大事にする理由は、人は、自分のことは自分で決めるのが一番いいと思っているからです。
リバタリアンにとって「自由」とは、「人がそれぞれの状況で、自分の責任で選べること」です。
例えば、お酒は身体に悪いです。
しかし、だからといって、お酒を禁止する法律を政府が作ることには、リバタリアンは反対します。。
健康をどう守るかは、自分で決めることだからです。
政府がルールをたくさん作るのではなく、個人の判断に任せるのが良い、とリバタリアンは考えます。
「人はみんな違うので、政府がみんなに命令するのはよくない」ということです。
具体的な話
自由を大事にした方がいいケースを具体的に見ていきます。
一つ目は、闇の世界が大きくなるのを防ぐためです。
例えば、お酒の売買を禁止すると、金儲けをしようという者が現れて、逆に闇世界がはびこおってしまいます。

だから全部自由にしてしまうほうがいいと、リバタリアンは考えました。
また、自由が大切な理由の二つ目は、政府に権力を集めないためです。
もし、権力が政府に集中すれば、市民にとって、脅威になります。
なぜなら、政府に権力が集まると、支配する側と支配される側の格差が生まれるからです。

たしかに、「選挙でしっかりしてる政治家を選べば、問題ない」という反論もあるかもしれません。
しかし、人は権力を持つと性格が悪くなるものなのだと、リバタリアンは考えます。

リバタリアンは、「権力は絶対に腐敗する」と信じています。
そのため、政府に権力を集めないようにするために、市民に自由にやらせることを、重視しています。
また、自由がない社会では、倫理観を自分で決めることができません。

自由がない社会では「これが正しい」という倫理を押し付けられるのです。
しかし、社会が決めた倫理が間違っていることもあります。
人は、それぞれ自分で倫理を決めていきたいのです。
だからリバタリアンは、どう生きるかは「個人の自由にするべきだ」と考えています。
税金について
リバタリアンは、税金について、ちょっとネガティブに考えています。

リバタリアンの人から見た「税金」というのは、政府が国民からお金を“強制的に”取るもの
という印象があります。
税金を集めることは、他人のお金を奪うのと同じです。
そのため、リバタリアンは、たくさんの税金を集めることに反対することが多いです。

反論として、税金は国の運営に必要だ、という意見もあります。
実際に、税金は、みんなが使う道や病院、学校などに使われています。
リバタリアンも、それはわかっています。
しかし、リバタリアンは、
「それを国じゃなくて、会社や地域の人たちがやればいい」
と考えることが多いです。
そのため、税金そのものを「悪い」とは言わなくても、できるだけ少なくしたいという気持ちを強く持っています。
リバタリアンが目指す社会
リバタリアンが目指す社会は「政府に助けてもらわないかわりに、政府にも口を出されない」社会です。
たとえば
・仕事でどんな商売をするか、自分で決める。
・困ったときの助けも、自分や家族、友だちで考える。
・政府が「こうしなさい」「これはダメ」と言わない社会をめざす。
つまり、助けをもらわない代わりに、自分の力で生きる自由を大切にしています。

もちろん、これには賛成・反対どちらの意見もあります。
自由は、強者にとっては魅力的です。
しかし、みんなが強く生きれるわけではありません。
・貧しい家に生まれた人
・生まれつき、元気に働けない人
そんな人もいます。
この世界は、努力されすれば、誰でもお金持ちになれる世界ではないので
弱者への救済は必要ではあります。
弱者救済について
弱者救済については、リバタリアンは、どう考えているのでしょうか?
リバタリアンは、「人を助けることは大事だけど、それは政府の仕事じゃない」と考えることが多いです。
つまり「困っている人を助けるのは、政府じゃなくて、まわりの人や地域、ボランティア、寄付などでやるべきだ」という考え方です。
なぜかというと「政府が税金で助ける仕組みを作ると、人々の自由を奪ってしまう」と考えるからです。
そのため、リバタリアンの社会では、思いやりを“強制”しません。
弱者救済の方法
有名なリバタリアンの1人に「フリードマン」という人がいます。
フリードマンは「弱者を切り捨てよう」とは考えていません。
むしろ「助けるべきだ」とはっきり言っています。
ただし、“どう助けるか”の方法に強いこだわりがあります。
まず、政府が「誰を助けるか」を選ぶやり方はよくない、と彼は主張しています。
例えば、下記のようなルールをたくさん作るのはよくないと考えています。
・農家は助けよう
・子育て中の人は助けよう
・生まれつきのハンデがある人は助けよう
こうやって、いろんな基準を作ると、効率が悪いです。

それに、政府が「誰を」「どのくらい」助けるかを、政府の人が「雰囲気」で決めてしまうと、不公平が生まれてしまいます。
政府の人が「誰を助けるのか」を決めるなら、政府に媚を売らないといけない状態になってしまうのです。

そのため、フリードマンは、弱者救済の方法についてとある提案をしました。
フリードマンの提案
フリードマンの提案は、負の所得税と言われるものです。
これは、給料をたくさんもらってる人は、税金を納めるけど、
給料をあまりもらえてない人は、政府からお金をもらう
というものです。
これは、どんな人でも、生活に必要なお金をもらえるようになる仕組みです。

ここでの「負(ふ)」は、「マイナス」という意味です。
ふつうの税金は、政府にお金を払うものです。
でも「負の所得税」はその逆で、お金が少ない人に、政府がお金をあげる仕組みです。

負の所得税とは、「政府が払う税金」という意味です。
これを国民がどう使うかは、政府は監視しません。
パチンコに使うかもしれませんが、それでもいい、ということです。
なぜなら、生活に必要なお金を一律にあげる方が、効率がいいからです。
フリードマンは、負の所得税によって「挑戦に失敗しても死なない社会」を作ることを提案しました。

