自由市場の必要性を訴えたのは、アダムスミスやフリードマンなどです。
これはどんなものなのでしょうか?みていきます。
交換はお互いを幸せにする
アダムスミスは、「交換は、本人がお互いにメリットを感じている時だけ行われる」と考えました。
本人たちが、自分の意志で交換するなら、お互いに利益があるはずなのです。
政府があれこれ指示を出さなくても、すべての人々が利益を得ることは、可能だとアダムスミスは考えます。
なぜなら、みんなが「自分の利益」を大切にすれば、みんなが利益を得るはずだからです。
だから、政府が強制力を使って、人々の自由を侵害する必要はないのです。
自分のことだけを考えればいい
アダムスミスは、「人は自分のことだけを考えればいい」と主張します。
なぜなら、自分のことだけを考えて行動しても、結果的にみんなが幸せになることもあるからです。
もし、みんなが自分の利益を求めたら
(みんなで幸せになろう、って誰も言わなくても)
みんなが、利益をもらいます。
もし、自分の利益を求めたら、本人も意識していないうちに、周りの人を幸せにしていることもあるのです。
自己中な人も他人を幸せにしている
たしかに、自分の利益を追い求めている人って、他人を犠牲にしている印象がありますよね。
しかし、実際には、そんなことはありません。
自分のためを思って動いていても、結果的に他人を幸せにしてしまうのです。
なぜなら、自分を喜ばせる過程で、他人を喜ばすようなことをしてしまうからです。
自分の利益を求めることは、他人を不幸にすることではありません。
自分のために動いてる人が、周りの人をハッピーにしてしまう場合もあります。
その人が、「他人を幸せにしよう」と意識していないのに、周りの人が幸せになる場合があるのです。
だから「他人を幸せにしよう」と意識していない事、そのものは、悪ではないのです。
しかも、「他人を幸せにしよう」って思って頑張ってる人より
「自分を幸せにしよう」って思って動いてる人の方が、もっと効率的に、みんなを幸せにしてしまう場合もあります。
平等な世界は作れない
市場原理主義を主張する人は、平等な世界は作れないと考えます。
なぜなら、世界の全ての人が協力して、平等な世の中を作ろうとしたら、ものすごい努力が必要だからです。
意図的に世界中の人を協力させようとすると、全世界を支配するリーダーのような存在が必要になります。
しかし、世の中には、たくさんの人がいます。
世界中の人が、利益を得れるよう、リーダーがみんなの幸せを計画することは、ほぼ不可能なのです。
たしかに「めっちゃ優秀なリーダーがいれば、全ての国民が幸せになる」と信じたくなります。
しかし、それは、難しいのです。
自由市場に賛成するフリードマンは、次のように語っています。
間違った考え方をしている人は、自分を枯葉のように感じている。
「自分は、自分ではどうしようもない力によって、もてあそばれる木の葉のようだ」と考える。
しかし、自分自身の運命は、個人の責任である。
これが、市場原理主義の考え方です
反論
ここまで読んだ人は、こんな反論があるかもしれません。
誰かが利益を得ると、その周りの人は、犠牲になるんじゃない?
たしかに、「誰かが利益を得ると、もう片方は、その犠牲になる」というのは、イメージしやすいです。
しかし、それは、心配いらないとフリードマンは、考えます。
なぜなら、お互いに利益を得ないのなら、交換は行われないからです。
アダムスミスによると、交換は2人とも納得した上で行われます。
つまり、片方が犠牲になってまで交換が行われることはありません。
(自分を犠牲にする人がいないことを、前提としているのです)
最後に
アダムスミスやフリードマンなどは「人に迷惑をかけない限り、自由に行動できる社会」を作ろうとしました。
交換が、「本人たちの意志」なら、その交換で、2人ともハッピーになるはずです。
そのため、本人たちの自由にさせておくことで、国はより良くなると考えました。
自由市場では、価格機構が働いています。価格機構については、こちら↓の記事から