どこまでが教育で、どこからが過干渉?JSミルの『自由論』から考える

ミル

ミルは、人には、自分の生き方を自分で選ぶ自由があると、主張しました。

それでは、子どもに「常識を教育すること」は、悪いことなのでしょうか?

この記事では、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で述べた内容について見ていきます。

教育

ミルは、子どもに常識を教育するのことは、良いことだと考えています。

若いうちに、常識を教育されることで、困った時に、習ったことが活かされるのです。

また、親の考えた結論を、子どもに教育してもOKだとミルは言います。

人はある程度、他人の意見を頼って生きるものです。

「これが良い生き方である」と教えてもらった経験が全くないかのように振る舞う必要はありません。

過干渉

しかし、その子が、ある程度、自力で善悪を判断できるようになったら

その人自身の判断力に任せた方がいい、とミルは言います。

なぜなら、成人の能力に達したら、自分自身のやり方で経験を解釈するからです。

どんな価値観が自分の性格にうまく適用できるのかを見つけ出すのは本人なのです。

お節介

身体的であれ、精神面であれ「本人にとって良いことだから」というのは、お節介の正当化にはならないと、ミルは言います。

そうした方が本人のためになるとか、本人をもっと幸福にするとか、他の人々の意見ではそうするのが賢明で正しいことである言った理由で、本人を強制して一定の行為をさせたり、させなかったすることは、正当ではないのです。

そして、本人が言うことを聞いてくれないからと言って、害を加えることは、悪いことです。

 

なぜなら、大人たちが規制するよりも、本人に任せた方が、たいていは、マシな結果になるからです。

自分の生き方を子どもに伝えてもいいですが

その生き方が当てはまらない人もいます。

このため、子どもがそれを拒んだ時に、許す必要があるのです。

相手にとって良いことだからと言って、何かを相手に強要したり我慢させたりするのは、正当ではありません。

忠告や説得、催促や懇願などもそうです。

「これをやれば立派な人になるから」という理由で、何かを押し付けるのは、人の自由を制限しているのです。

常識について

子どもに「常識」を身につけてもらいたい、と考える親は多いかもしれません。

しかし、慣習は、本人の性格に馴染みにくいものもあると思います。

また、本人に馴染めるものだったとしても、たんに「慣習だから」ということで慣習に従うのでは、人を発達させないのです。

自分で選ぶと、知能や、物事を見分ける力や、道徳的な優先順位や、判断力が身につきます。

人は、自分の判断力を使う中で、成長していくのです。

自由について

他人を妨げているわけではなく、自分自身に関わる物事で、自分自身の好みや判断に即しているだけであれば、意見は自由であるべきです。

自分自身で負担を受け入れるのであれば、誰からも妨害されずに、自分の意見を信じることが許されるはずです。

人には自分の性格に合った人生を設計する自由があるのです。

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